SCHEDULE

  • 11.03Sun.2024

    寺本幸司が、今語る、浅川マキ。「出逢いと別れ」

    17:30

    3,500円+ドリンク(当日4,000円+ドリンク)★定員30名(先着順。定員になり次第〆切。)

    寺本幸司

    ※当日券ございます。直接会場にお越しください。

    1966年、寺本幸司は浅川マキと出逢い。初期の名盤をプロデュース。2010年にマキがこの世を去り、物理的に真の別れが来てしまう。出逢いから別れまで寺本は何を想い考えていたのか。心の中を垣間見えるチャンスはそうそうあるものではない。実に見逃せないイベントだ。定員30名。先着順です。人数に達し次第〆切ますのでご注意ください。

    ※浅川マキは石川県出身。きっと存命ならば今年の能登半島には心痛めていることだろう。そんな想いを汲んでこのイベントのチャージから500円X人数を義援金に充てます。また、募金箱も設け集まった義援金を能登に送りたいと思っておりますので皆様の善意あるご協力を求めたいと思います。

    ★第一部 Film上映/ドキュメンタリー青春(テレビ東京・1969年)

    ★第二部 Talk/浅川マキと寺本は恋愛関係にあったのか?

    ★定員30名(先着順。定員になり次第〆切。)

    浅川マキプロフィール 

    1942.1.27、石川県生まれ。寺本幸司、寺山修司に見出され、68年、新宿の「アンダーグラウンド・シアター蠍座」でのソロライヴでデビュー。69年7月1日、寺本幸司のプロデュースによる『夜が明けたら / かもめ』(EXPRESS-レーベル)で正式にレコード・デビュー。「夜が明けたら」「かもめ」「赤い橋」などがヒットし、当時の新宿文化を代表するアングラの女王と称されました。時代が変化しても確固たるスタイルは変わることなく、シンガーソングライターとして作詞作曲、外国曲も「日本語詩」として自作するなど、独自の世界を作り上げました。ライヴやレコーディングのメンバーも、山下洋輔(やましたようすけ p)、坂本龍一(さかもとりゅういち kb)、つのだ☆ひろ(d)、山内テツ(やまうちてつ b)、近藤等則(こんどうとしのり tp)、本多俊之(ほんだとしゆき sax)、渋谷毅(しぶやたけし p)、川端民生(かわばたたみお b)、向井滋春(むかいしげはる tb)、セシル・モンロー(d)など、一流のミュージシャンが務めました。2010年1月17日、名古屋で3日間ライブの最終日にホテルで倒れ、病院で死亡が確認されました。享年67歳。

    寺本幸司プロフィール

    1938.8.6東京都生まれ。1961年、(株)芸映に入社。1966年、日本初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」設立に参加。この時、浅川マキと出逢う。1967年、南正人と出逢い、1971年、アルバム「回帰線」をリリース。1968年、小澤惇、松村慶子と音楽出版ジュン & ケイ(JUN & KEI MUSIC PUBLISHERS, INC.)を立ち上げ、同年12月、新宿アンダーグラウンド・シアター「蠍座」で、寺山修司構成演出で「浅川マキ深夜3日間ライブ」を成功させる。翌1969年、シングル『夜が明けたら』で、浅川マキをメジャーデビューさせ、30万枚のロングセールスを記録したアルバム『浅川マキの世界』(1970年)に繋げた。1969年、人気テレビ番組「ドキュメンタリー青春”新人狩り”」(テレビ東京)出演。1970年、浅川マキの宣伝キャンペーンで札幌を訪れた際、杏真理子と出逢い、1971年4月、シングル『さだめのように川は流れる』をリリース。1972年、音楽工房モス・ファミリィ(株)を設立。1984年のイバラギ万博では、モス・エージェンシーの代表プロデューサーとして「茨城パビリオン」の運営に当たった。同年、ニューヨークから帰って来た下田逸郎のアルバム「飛ばない鳥 飛べない鳥」を制作。1986年からは、社団法人 日本音楽制作者連盟(FMP)の理事として、芸団協・実演家隣接権センター(CPRA)に参加し、歌手アーティストの録音録画権の獲得整備、徴収分配等の広報業務にあたった。1988年、水上土地建物の委嘱を受けて、ウォーターフロント有明に、エンタテインメント商業施設「MZA有明」をオープンさせ、クラブ・シアターには海外から多くの有名ミュージシャンを招聘した。1990年、不動産企業パックスコーポレーションと組んで、新橋汐留にクラブ・シアター「サイカ(psycha)」をオープンさせ、海外からバンドを呼ぶなどして、時のクラブシーンに名を刻んだ。その後は、後述のとおり、著作家としての活動へ重点を置いていたが、2010年に浅川マキが亡くなってからはMAYAや伊香桃子のアルバム制作へ至る。2020年2月15日、「人は死ぬが、歌は死なない」をテーマに、金沢北國新聞赤羽ホールで「浅川マキ没後10年メモリアル コンサート」をプロデュース。2021年12月22日、浅川マキ リスペクトアルバム、伊香桃子「Good-bye ~浅川マキを抱きしめて~」をプロデュース。

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